東芝キヤリア社会・環境報告書 2013年
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山崎)私は、富士事業所で環境工務の仕事に就いています。その名のとおり、事業所内の環境活動の取りまとめを行う部署です。富士で生まれ育ち、職場も富士なので、子どものころからこの町の自然はよく知っているつもりです。クワガタを捕りにいった岩本山の近くに広がる茶畑などの自然は、昔からほとんど変わっていません。佐野)実は、昭和20年代の航空写真で比べてみると、この辺りの環境はかなり変化していますね。写真では、田子江川が蛇行していることが分かります。私は、この川でフナやザリガニを釣って遊びました。ウナギもいました。昭和40年代半ばごろから護岸整備が進み、河口付近の環境も変わりました。また、排水能力を増すために水門を撤去し、橋を架けたことで、海水が入り込んで生態系に変化が生じてきたと思います。佐藤)私は、富士市に赴任してきて9年になります。皆さんと違って、この町に住んで短い私でも、水田が宅地に変わるなどの変化を、痛切に感じます。田子江川で大きなコイを見かけたり、見たこともない魚と出合ったりすると、昭和40年代半ば以前と以降とで、川や海をきれいにする努力をした結果、生態系が変わってきたことを感じます。旭化成で環境関連の仕事をするようになり、2007年に「あさひ・いのちの森」をつくりました。ビオトープもつくり、毎年5月ごろに蛍祭りを開催しています。蛍と触れ合っていると、生態系を維持する重要さをつくづく感じます。遠藤)今日、「あさひ・いのちの森」の中を歩かせていただき、子どものころ、私の家の周りにも同じような場所があったことを思い出しました。草むらにはススキが茂り、川ではオタマジャクシ、メダカ、ザリガニを捕って遊びました。今ではビオトープのような環境を人工的につくらないと、ススキやメダカが生きていけないのかと少し悲しくなりました。佐藤)「あさひ・いのちの森」を始めたのは、生物多様性がクローズアップされるかなり前のことでした。当時、弊社内に発足した住宅研究所の周りに森をつくることで、住宅とエコを関連づけ、生態系保全のシンボリックなものと位置づけたかったのです。また、蛍を復活させることで、地域の皆さまとの交流も図れると考えました。森やビオトープをつくるために、約2年かけて専門家に田子の浦の植生調査を依頼し、この土地本来の森をつくろうということで始めました。佐野)私は、役所で土木関係の仕事をしていましたので、退職後はそのノウハウを生かして鮫島地区にビオトープをつくりました。自分なりに情報を集めて勉強し、場所も「あさひ・いのちの森」のすぐ近くなので、佐藤さんにも相談に乗っていただきました。ある日、田子江川にアユが上ってきたことを聞き、この辺りの水もきれいになったのだなと思いました。私が手掛けた鮫島地区のビオトープにも、今では小魚がすみつくようになりましたね。山崎)私は、以前にも両方のビオトープを見に行きました。今日、「あさひ・いのちの森」にあらためて足を運び、広さを有効に活用し、植樹や蛍の自生などを、地域住民の方々と連携して行っているところが素晴らしいと思います。鮫島地区のビオトープは、私どもの排水が含まれる田子江川を利用している点で興味がありました。地形を巧みに利用し、人工的な部分とありのままの自然をうまくミックスしているところが素晴らしいと思います。弊社の事業所内につくったビオトープも、カルガモ親子が来たことで社内外の知名度が上がりましたが、事業所の環境活動のシンボルとして、これから皆さまに愛されるようになればよいと思っています。遠藤)生物多様性という言葉はよく耳にしていたものの、それがどのような意味なのかまでは、深く考えたことがありませんでした。しかし、自分の会社にあるものも含め、今日3つのビオトープを見学し、生物多様性を意識するきっかけになったと思います。自分の子どもにも、生き物の生態系の話をする機会が出てくるかもしれません。ところで、生物多様性と私たちが生きるために必要な食べ物との関係が話題になっているようですね。皆さまが、今までの富士市とのかかわりから、生態系など、周囲の自然環境が変化したと感じることをお話しください。それぞれのビオトープについてお話しください。左から、遠藤、山崎、佐野、佐藤(敬称略)特集 生物多様性② 誌上座談会9東芝キヤリアグループ 社会・環境報告書 2013をWANTED 決められた場所に捨てぬやつ(製造部門/ちゃか) わわかってて、ポイすて、もうあかん(製造部門/オヤジ)

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