東芝キヤリア技術史
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2- インバータとの出会い4- ツインロータリーという未来3- 188X1の軸受摩耗の経験 PシリーズからX2シリーズへと順調にモデルチェンジが進んでいたが、1986年(昭和61年)にX2からよりコンパクトなX1シリーズに変更すると、市場で運転開始から数年で圧縮機から異常音を発生し、ロックに至るという現象が起き始めた。これは最終的にコール率が2割に迫る不良となった。いわゆる「188X1(イチパッパエックスワン)の副軸摩耗」である。 それまで摩耗に厳しいとされた高負荷運転ではなく、むしろ低負荷で使用されていた事がわかってくると、軸受摩耗発生のメカニズムを解明するべく社内プロジェクトが立ち上げられた。その中でエアコンの「停止状態」や「フィルター汚れ」等を含むあらゆる使用状況を想定した試験を行った結果、低負荷でも軸受摩耗が厳しくなる仕組みが解明された。 ここで検証した評価手法や解析結果は、ただちにインバータエアコンの信頼性評価基準としてまとめられ、当社の冷凍サイクル信頼性設計の基盤となっている。27 1970年代の二度に渡る石油危機はエネルギー資源を輸入に頼る日本の課題を浮き彫りにしたが、技術者にとっては省エネに向けた新たな技術開発へのモチベーションとなっていた。 それまでのエアコンは一定速度で運転するため、温度制御は主にコンプレッサのオン・オフで行っていたが、必要な能力に応じて回転数を可変するインバータ方式の開発がスタートすると、コンプレッサには低速から高速まで広範囲な運転を可能とする事が課せられた。そして、低速回転時の潤滑性能、振動、高速回転時の耐久性、騒音などを高度な技術で克服し、1981年(昭和56年)には世界初となるインバータロータリーコンプレッサPシリーズの開発に成功すると、家庭用エアコンRAS-225PKHVに搭載されたのである(注1)。インバータとロータリー方式との組み合わせは、短断続運転による電力ロスの低減だけでなく、中低速域でより高い効率で運転できるため、エアコンの省エネには理想的だった。注1:当社では1980年に世界初の業務用インバータエアコンの開発に成功して  いるが、それには既に極数変換などで可変速対応の基礎技術を確立して  いたレシプロコンプレッサが搭載された。 インバータエアコンの信頼性設計手法が確立すると、高速運転でより大能力を、低速運転でより省エネを目指す開発に取り組んだ。その時に問題になるのが振動であった。ロータリー方式の圧縮機構は軸の偏芯を利用したもので、高速回転では振動エネルギーが増えて機械的な負荷が大き当社とロータリーコンプレッサとの歴史は独自技術開発の決断から始まり、今もその進化は止まらない 当社のロータリーコンプレッサ開発の歴史は1967年(昭和42年)2月に行われた常務会答申において、土光社長による「ロータリーの開発は苦労が多いが、将来性は有望でありロータリーを採用せよ」との決断から始まった。1- 独自技術による開発のはじまり 世界では米国GE社が1950年代前半に空調用ロータリーコンプレッサを商品化しているが、東芝では1960年代に自社開発を目指した試作が進められていた。一方で、当時GE社からはロータリーコンプレッサの技術提携の話もあり、「独自開発」か「技術提携」か、事業部としても決断にせまられていた。 1967年(昭和42年)2月の常務会において、ロータリー方式はメカニズムが合理的(回転運動をそのまま圧縮運動に変換でき、構造が簡単で部品点数も少ない)な反面、軸受部品等の要求精度が厳しく、高度な製造技術と多額な設備投資が必要である事が説明された。すると土光社長から、「ロータリーの開発は苦労が多いが、将来性は有望でありロータリーを採用せよ」との決断が下されたのである。 それを機に全社を挙げての開発がスタートし1968年(昭和43年)ついに当社独自技術による日本初の空調用ロータリーコンプレッサの試作開発に成功した。それはB型シリーズと呼ばれ、後に初の純国産技術によるロータリーコンプレッサとして国立科学博物館が選定する「重要科学技術史資料」に登録される事になった。 それはまた、当社とロータリーコンプレッサとの歴史の始まりでもあった。初物語

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