東芝キヤリア技術史
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2-世界初のスプリット形(セパレート形)エアコン日本家屋にマッチした形態を目指して ウインド形エアコンを日本の家庭用に普及させるには大きな問題があった。それは圧縮機を内蔵する一体型であったため、重量、大きさ、振動等で日本家屋には据付上の制約があった点だ。そこで既存の一体型構造を見直し、室内機と室外機を分離したうえで重量・大きさ・振動の主要因である圧縮機を室外機に収納する設計とし、1961年(昭和36年)、世界初となるスプリット形ルームクーラーとして発売した。 室内と室外とをつなぐ冷媒配管の接続については、高度な施工技術やガス入れ作業をすることなく据え付けられるよう、当時航空機部品に使用されていたセルフシールカップリングを採用することとした。そこには国産第一号機開発から流れる『家庭用エアコン市場を発展させよう』とする当時の技術者の気概を感じることができる。 スプリット形の形態は、室内機の低騒音・軽量・コンパクト化を実現したが、それは室内機の据付自由度および設計自由度の向上をも成し、その後の家庭用エアコンの主流になっていく。3-世界初のスタイリッシュエアコン(1990年)潜在ニーズは顧客に尋ねても拾えない 潜在ニーズは潜在と言われるだけあって顧客に尋ねても拾えない。それまで壁掛形の外観は各社、四角い形でサイ35注1: 当時のエアコンには暖房機能がなく冷房専用だったため、   クーラーと呼ばれた 日本における家庭用エアコンは図1のようなウインド形エアコンに始まり、しばらくは輸入販売が続いたが、1952年(昭和27年)、日立から日本初の3/4馬力ウインドエアコンが発売された。当社では同年、今後の市場を開拓する方針のもと、日本の実情に合った製品を開発すべく、東芝柳町工場においてルームエアコン開発プロジェクトが始動した。そこで先頭機種の開発目標に掲げたのは、当時主流の3/4馬力ではなく、日本の高温多湿を考慮して1馬力タイプとされた。また価格を抑えるため、圧縮機をはじめとした冷凍サイクル部品も国産にこだわった。そして当時1馬力を引き出せる圧縮機がなかったため、1/2馬力圧縮機を2基搭載するという独自設計を行い、翌1953年(昭和28年)に1馬力国産第1号ウインド形ルームクーラー(注1)「コールディア(RAC-101)」を発売したのである。 この時の国産化と独自設計へのこだわりが、その後の当社の空調機開発の基礎となっていった。(図1)(図2) 世界初の家庭用スプリット形エアコン(左:室外機、右:室内機)コンデンシングユニットとは違い、圧縮機が室外機側に収納される点が特徴。既存を当たり前とせず、あるべき姿を模索する 当社では世界で初めて開発した家庭用スプリット(セパレート)形エアコンをはじめとして、現在のエアコンの形態に通じるいくつかの潮流を作ってきた。それは、当社の提案が潜在ニーズにマッチした結果である。潜在ニーズを当てに行くことは難しいが、それらに共通するアプローチは既存を当たり前とせず、世の中の兆しを捕らえ、想像力を働かせてあるべき姿を模索する行為であった。1- 国産初の1馬力家庭用ウインドエアコン(箱型)国産と1馬力へのこだわり初物語

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