東芝キヤリア技術史
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ビル用マルチ空調システムのあゆみ48(図1)スーパーマルチ室外機(初期)(図2)スーパーマルチ室外機(後期)スを加えた。冷暖フレックスは、複数台接続された室内ユニットを個々に冷房、暖房できる究極の個別分散空調システムであり、しかも冷暖運転のユニット間での熱回収運転が可能となっており、当時最新の冷媒・電子制御技術が組み込まれた。3- 1994年(平成6年)に発売されたワイドマルチはスーパーマルチ後期の筐体を流用する。冷媒分流には室外機と室内機間に分岐ジョイントと分岐ヘッダを配し、各室内ユニットに内蔵したセンサと流量調整弁で能力按分を行うライン分岐方式が採用され、この方式は現在に引き継がれている。容量は当初最大10馬力だったが、翌年には20馬力まで拡大している。 また、1998年には8,10馬力タイプを代替冷媒R407Cに切り替えて発売しているほか、バリエーションに氷蓄熱ワイドマルチがあった。4-第三世代:モジュールマルチ(MMS) ビル用マルチ空調システムは個別分散空調の快適性はもちろん、空調設計や据付工事がしやすい事、基本メンテナンスフリーであることから急速に市場が立ち上がった。そんな中、小規模から中規模クラスのビルの施工を考えると、パイプシャフトの専有面積を抑えるために同一冷媒系統の大容量化が必要であった。 1999年(平成11年)に発売されたモジュールマルチ(以下MMS)は、室外機を複数台ライン連結する事による大容量化を実現した。また、ターミナル専用機となる8,10HPのインバータ室外機と6,8,10HPの増設用定速室外機を連結して容量8から46HPを2馬力刻みのラインナップで提供するマルチ版モジュールコンセプトを初採用したシリーズである。 多連結のモジュールコンセプトと言えば、当時別会社の東洋キヤリア工業から1994年に発売された水冷モジュールチラーがあるが、多連結による大容量化のコンセプトはまだなかった。もっとも、モジュールチラーの多連結化技術と、MMSエピソード0第一世代:スーパーマルチ第二世代:ワイドマルチプラットフォームを刷新する度に、新しい技術でビル用マルチ空調システムの未来を拡げてきた 当社には1985年(昭和60年)の初代から現在に至るまで、プラットフォームを刷新する度に常に新たな技術で、他社に先行してビル用マルチ空調システムの未来を拡げてきた歴史がある。1- 業務用マルチエアコンは1982年(昭和57年)にダイキン工業株式会社から発売された。当社のマルチシステムの始まりは1971年(昭和46年)の2室マルチにある。その後他社に先駆けて内外高落差50mに対応したビル用マルチ空調システムを1985年(昭和60年)に発売しており、それを初代ビル用マルチ空調システムと呼ぶ。当時のシステムは室外機の屋上集中設置を可能とし、また室内機2台を直列で接続する同時発停方式であった。2- 1987年(昭和62年)に発売されたスーパーマルチは、インバータを搭載した世界初の本格的なビル用マルチ空調システムである。容量は初年度3,5HPで、翌年には8,10HPが追加された。(図1、図2) 室内ユニットは1~5HP、接続台数は最大3~6台で、室外機と室内機の間に設置されたマルチコントローラにより最適冷媒分流制御を行う集中分岐方式を採用した。特長的なのは日本初となる「セレクトフリー個別運転」といって、室内形態の自由選択と各室内ユニットの負荷状況に応じて無段階に能力比例制御するという現代のビル用マルチ空調システムに通じる個別分散空調を実現したところである。スーパーマルチはその後、容量を20馬力まで拡大している。 1990年にはバリエーションにスーパーマルチ冷暖フレック初物語

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