東芝キヤリア技術史
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2-51 1998年(平成10年)に家庭用エアコンにオゾン層破壊係数ゼロの高効率冷媒R410Aを投入し、省エネNo.1を達成して以降、その技術を業務用空調機他へ拡大する「インバータ&グリーン戦略」を展開した。 当時、業務用は低圧タイプのR407Cを採用するというのが業界の動向であったが、当社ではR410Aを採用する方針をいち早く決定し、店舗・オフィス用からビル用マルチシステムまでの開発を完了すると、技術提携によりキヤリア社製品にまで展開した。さらには電力会社との共同研究開発製品として成功を収めつつあった空冷チラーへも展開、そうして開発された「ユニバーサルスマートX」の商品性は、国内チラー市場において東芝キヤリアの優位性を決定づけるものとなった。 現在は、更に地球温暖化係数の低い冷媒への転換が求められており、各要素技術の研究・先行開発、および新製品への技術織り込みが必要である。3- 1999年当時、当社の事業の柱は国内家庭用エアコンであり、技術開発も家庭用に注力した成果を業務用に展開するというのが定石であった。1999年(平成11年)からの3年間は「大清快」シリーズの販売が好調に推移し収益も安定していた。 ところが、1999年(平成11年)からすでに始まっていた物価下落が回復を見せないまま2001年(平成13年)にデフレ経済に突入、広域量販店の台頭等により家電の価格破壊が進行すると、営業損益は赤字を計上するに至った。国内オペレーションは東芝キヤリアが主管とはいえ、米国キヤリア社からもB2C市場からの撤退を強く提案されるようになる。しかしながら、長らく家庭用エアコンを事業の柱としてきた当社にとってその決断は重い。そこで、生き残りをかけルームエアコンのタイ、中国への製造移管、投資抑制、選択と集中による大規模な構造改革を行った結果、2007年(平成19年)の営業利益は設立当初以上のレベルまで回復していた。 が、その最中の2008年(平成20年)にリーマンショックが起きると、それに続く急激な円高により輸入されるエアコンの価格が一段と下がり、国内家庭用エアコンのビジネスは崩壊したのである。そして、2010年(平成22年)、ついに家庭用ルームエアコン事業を東芝ホームアプライアンス(株)に移管し、国内設備ルート向けエアコンは同社から調達販売するという形でB2Cからの事業撤退を断行、国内はB2B事業へと軸足を転換したのであった。B2CからB2B事業への軸足転換 困難を乗り越え、ビジネスモデルを変化させて成長を遂げてきた歴史は、より良くなるために自らを変えていくことの大切さを私たちに教えてくれた 1999年(平成11年)に(株)東芝と米国キヤリア社間の合弁会社として東芝キヤリアが発足して以降、事業も成長してきた。ただ、その20年間はすべてが順風満帆だったわけではなく、むしろ幾多の困難に直面しながらも、生き残りをかけ、そしてさらなる成長のため自ら果敢に変革を重ねた激動の歴史でもあった。そしてまた、技術開発も変革を重ねてきたのであった。1-東芝キヤリア株式会社設立 (1999年) 1998年(平成10年)、空調設備機器分野において互いの持つ技術、製造、販売網を相互に活用する補完関係を構築し、世界市場に向けた製品ラインアップの拡充および製品開発力の強化、コストの削減、販売網の拡大等を実現し、空調設備市場での一層の競争力向上と両社の事業領域拡大を図るため、(株)東芝と米国キヤリア社との間で「空調設備機器分野でのグローバルな戦略的事業提携」が結ばれ、1999年(平成11年)に東芝の空調設備事業部門と製造拠点である富士事業所を母体とする合弁会社「東芝キヤリア株式会社」が誕生した。【基本合意内容】 ・ 合弁会社「東芝キヤリア(株)」設立・ 東洋キヤリア工業(株)を新会社に連結・ 東芝国内販社を統合し、東芝キヤリア空調システムズ(株)を設立 ・ グローバル製造拠点と販売網の統合・ 国内事業は東芝キヤリア(株)が主管・ 海外事業は米国キヤリア社が主管インバータ & グリーン20初物語

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