東芝キヤリア技術史
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55■ 少数の専任メンバである(6名)■ 執務場所は完全に独立(品川)NATセンター長(当時)本郷 一郎 次に行ったのが年間の活動計画ならびに最初の三か月間の詳細な計画の作成である。ところがこれが なかなか社長のOKが出ない。30点の出来と言われた状態のままで10月1日を迎えてしまった。3- 活動の立ち上げ 富士から新幹線で品川へ通うようになって、最初にやるべきことは、未完の活動計画の作成、オフィスの整備とアシスタントの採用である。 まず伝手を頼ってコンサルティング会社に相談した。先方もこちらのミッションに興味を持ってくれ、親身になって対応してくれた。調査に関する様々な手法、調査結果には人口動向など確実な情報とあくまでも予測された仮説のようなものがあり両者を区別することの重要性、アイデア検討会などには周到な準備とファシリティトに徹する人が必要であることなどを教授してくれた。こちらでも先方の言うことを参考にしつつ、いろいろと調べた結果、活動が順調になるまでは隔週、以降は月一回のコンサルティングを受ける契約を結ぶこととした。 なお、オフィス整備については社長から以下のリクエストがあった。 ● アメリカG社のオフィスのようなものを目指すこと。 ● 外部の人と打ち合わせする会議室と居室の間にパーティショ  ンを設置し鍵を掛けられるようにしてセキュリティ対策をす  ること。 ● 全ての会議室には当時主流のプロジェクターではなく大型   ディスプレーを設置し直接PCからプレゼンをできるようにす  ること。 品川には事務機メーカーのショールームが何ヶ所かあり、メンバー全員で見に行って、L字型の机、書類キャビネット、椅子、パーティションなどを選定したのだが、どうも社長はG社風のオフィスになっていないことが不満だったようである。アシスタントも候補者を面談し一名を採用する事になった。ところが数日後に本人から辞退の申し入れがあったのだ。どうもオフィスががらんとしており、使っていない場所ではカーペット張りの床の上に直接電話が置いてあったりする様子を見て、何やら怪しげな会社と思われたようであった。逆にこのことで冷静にどのような人がアシスタントとして相応しいのか考えることができ、候補者4人目でようやく素晴らしい人物に巡り合うことができた。NATセンターの歴史NATセンターが果たした役割1- ある日突然に 2007年の夏も終わろうかというある日のこと、統括技師長から、『社長指示で10月から10年先の空調はどうなっているのか調べて、5年後にTCCは何をすべきかを提案する組織を作るので人選せよ』との話が舞い込んできた。条件は以下の通りだった。 ● 1年間のPJ組織で、成果報告後解散する。 ● 若手を抜擢する。/女性技術者を加える。 ● 都内に専用の独立した事務所を構え、期間中他の業務は行わない。 ● 本PJは調査・企画を行い、実際の研究開発を行ってはいけない。 ● 人選にあたっては上長の承認は不要。さらには、 ● 各メンバーに一名、資料作成・報告書まとめをするアシスタントを付ける。 ● オフィスは創造性を上げるために、最新かつユニークな調度品を揃える。 ● 活動のための予算はいくらでも使ってよい。というものまであり、任務の重さを感じた。 2- プロジェクトの準備 急いで人選を行ない、組織名を検討した。プロジェクト組織でもあり、「DRAGON」という名称を入れたいとの話をしたところ、社長も賛成してくれたが、最終的にはNew Air-conditioning Technologyの頭文字を使った「NATセンター」に落ち着いた。事務所は当時東京の品川駅東側にあった本社を品川駅西側に移転したばかりで、旧本社のワンフロアをそのまま6名で使うことで決着した。 そして、準備期間中にメンバーとプロジェクトの目的を打合せ、ミッションと成果領域は下図のように決めた。■ NATセンター(New Air-conditioning Technology)組織の特徴■1年間の時限組織■ トップマネジメント組織である■ トップステアリング会議を四半期毎に開催NATセンターのミッション10年先の空調の姿を描いて、新規技術開発テーマの発掘、新セグメント発掘、先行研究開発企画の立案を行い提案する。【成果領域】5年後をターゲットとした①新技術体系の描出 ②新コンセプト商品の創出 ③研究開発企画提案

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